燈明ブログ

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これでいいのだ・・・

すでに、たくさんのところで語られたタモリ氏の弔辞です。
こころに残ったところをメモしときます。

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。
すなわち『これでいいのだ』と。

私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。
それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。
あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。
しかし、今お礼を言わさせていただきます。
赤塚先生、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
私もあなたの数多くの作品の一つです。
合掌。平成20年8月7日、森田一義

  • 『これでいいのだ』 - 『すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れること』

ありがとうございました。合掌・・・


そうそう、『人の死にかたは、その人の生きかたが表れる』といいます。
素晴らしいお葬式や弔辞、赤塚氏の生前の人柄が偲ばれます。

実は『弔辞ごっこ』だった?(追記)

赤塚不二夫の告別式は
まさに、タモリが得意とし、
赤塚が愛した
“知的な不謹慎芸”“リアルな即興芸”が発揮できる最高の舞台
だったのだ。

もちろんタモリの口から出てきた弔辞は
まぎれもない本音であり、
7分50秒ではいい足りないほどの想いが込められていた。

しかしそれをそのまま語るのではなく、
芸人らしく、大ネタにしたタモリ

本当に原稿を読んでいるかのように、
白紙の経本折りの原稿をめくり、
即興であるにもかかわらず、
熟考されたかのような心打つような哀悼の言葉を口にすることで、
“告別式の弔辞というネタ” をリアルに演じきった。

それは、
タモリの才能を見いだし、育てた赤塚に対する
最後のネタ披露であり、
赤塚とタモリの“最後の遊び”。
そう、
赤塚が、自身の死をお題にし、それにタモリが応え 
ふたりが大真面目にやりきった
不謹慎ネタ、“弔辞ごっこ”だったんだと思う。

タモリには、告別式の会場のどこかで、
「おまえ、やっぱり面白いよ」って
大笑いしてる赤塚の姿が見えていたにちがいない。

http://kazesaru.blog40.fc2.com/blog-entry-31.html


『ふたりが大真面目にやりきった不謹慎ネタ、“弔辞ごっこ”だったんだと思う。』

確かに、そう言われると、そう思う。